表現のツール

前々回に書いた言語化について。
大学時代に全てを言語で表現できないのなら、あえて言語化にすることを諦めることを選択していたことを書いた。
じゃあ、私は何を使って、表現をすることができるのだろう?
どうしたら、相手に伝えることができるのだろう?
当時、私には説明できない、表現できない感情や感覚をいくつかもっていて、それらをうまく処理できずにいたんだよね。

ich kann nicht poetisch schreiben; ich bin kein Dichter.
ich kann die redensarten nicht so künstlich eintheilen, daß sie schatten und licht geben;
ich bin kein Mahler.
ich kann sogar durchs deüten und durch Pantomime meine gesinnungen und gedancken nicht ausdrücken;
ich bin kein Tanzer.
ich kann es aber durch töne; ich bin ein Musikus.

僕は詩的には書けません。 詩人ではないから。
ふつうのものを芸術的に配して、光と影を与えることができません。
ぼくは絵描きではないから。
それどころか、思わせぶりやパントマイムで、僕の真意や思想を表現することもできません。
踊り手ではないから。
でも、僕は音でならそれができるのです。
僕は音楽家だから。

父(在ザルツブルク)へ
マンハイム1777年11月8日

大学生のときに本で見つけて感銘を受けたモーツァルトの手紙。
ノートに写して今でも取ってあって、たまに読み返す。
(なので、訳は私が訳したわけではなく、当時の本を写した引用です。出所が記録されてなくて、分からずにすみません。)

今でも、読むたびに、さらっとこんなことをお父さんへ書けてしまうモーツアルトの才能に感服してしまう。
天才って、こういうことなんだなって。

私はもう、表現や相手へ伝えるための何か、ツールを探してはいない。
ただ、私は私でいること それだけでいいのかな、と感じている。
それがけっこう難しかったりするんだよね。

写真は、ドイツ クサンテンの街にモーツァルトの野外オペラ(魔笛)を観に行ったときの開演前の舞台の上方の部分。

空が綺麗で気持ちよくて、肝心の舞台の写真を撮っていなかった…。

ほんとは、ザルツブルクのモーツァルトハウスの写真を載せたいんだけど、データを探すまでの仮の写真として載せておきます。

※ドイツ語のスペルがおかしなところがあるのは、モーツァルトは表現のため、または韻を踏むためによく単語を書き変えたり、置き換えたりした手紙を書いたそう。

または、当時のスペルがこのようなものだったのか。

あるいは、ドイツ語を当時よく分かっていない私が写し間違えたか。

のどちらかです。あれ?と思われた方、いい加減ですみません。少し調べてみたものの、原典版がわかりませんでした。

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