怒られて、やけになって、「死にたい」と泣きわめいていた子供に私は低い声で言った。
「そうしたいのなら、そうしなさい。」
散々泣きじゃくって、落ち着いた子供に私は訊いた。
「○○(子供の名前)を大切にできるのは誰?」
「○○。」と子ども。
「そうだよね、○○を本当に大切に幸せにできるのは、ママやパパじゃない、○○だよね。
パパとママがどんなに○○を大切にしようとしても、○○が○○を大切にしないと、○○は本当に幸せになれないよ。もっと○○の心の声を聞いてみて。○○は、本当はとってもお利口さんで良い子だし、幸せになりたいって思ってるよ。」
「今も死にたい?」
「死にたくない。」(首を横に振りながら)
子どもは、私の鏡であり、私の限界を教えてくれる存在。
私は、私を大切にしているのだろうか。
私は、私を幸せにしているだろうか。
私は、心のどこかに自分を蔑む気持ち、死にたいという気持ちが残っているのだろうか。
自分に訊いた。
まだ、私は私を大切にしていない部分があるようだ。
まだ、私は私を幸せにする勇気がないようだ。
まだ、自分を蔑み、死にたいという気持ちがあるようだ。
目の前の現実は、私の心の反映。
ああ、それで、今日は子どもをひどく叱ったのか。
私が自分を蔑む気持ちや死にたいという気持ちを手放すこと、自分を大切にして、幸せにすることが、子どものためにもなるのだと、理解した今日の夜の出来事であった。
長年付き合ってきたこの負の気持ち。
いろいろな事を私に体験させてくれたこの負の気持ち。
ありがとう。
もう私は大丈夫。
バイバイ。

子ども用にご飯の巻き寿司を作ったけど、
大人はご飯なしの野菜だけの巻き寿司も!